『「普通がいい」という病』第5講 読書感想part1
第5講
精神の成熟過程
〜駱駝・獅子・小児〜
これまで内容は、
ココロの声とアタマのコントールと対立があり、
ココロを声を聞いた方が”良い”と受け取られてしまっているかもしれません。
どちらが良いというより、これもバランスなのですが。
私(西尾)自身がアタマ由来のコントロールが強いタイプのようで、ココロの声も大切にししてほしいという意識が文章に表れているようです。
この章では、ココロの声、いわば「感情」について書かれています。
感情の井戸?や感情の鮮度?について、
ニーチェの『ツァラトゥストラ』の「三様の変化」(駱駝・獅子・小児)という章に書かれた人間の変化成熟のプロセスについて触れていきます。
この章から少しずつ抽象的な表現が多くなってきます。
読書会が楽しみになってきました。
第3講では、
感情に「頭」由来の浅い感情と「心」由来の深い感情の二種類あると定義されていました。
この講での感情とは、”「心」由来の深い感情”と表現されています。
・感情の井戸
四つの感情のボールは、この図のように怒・哀・喜・楽の順番で井戸の中に入っています。
中略
四つのボールは順番に入っているので、一番上のボールが出ないと二番目、三番目は出てこられません。ここで上の二つは、よく「ネガティブな感情」と言われるものであることに気づかれるでしょう。一方、下の二つは「ポジティブな感情」と言われるものですが、これらは上二つの「ネガティブな感情」が意識に出てこない限り、出られなくなっているのです。
怒りの感情は全ての感情と繋がっているということなのでしょうか。
・感情を差別しない
「感情の井戸」の図で、一番上が「怒」があることに注目していただきたいと思います。私たちは、「怒り」というものについて、どんなふうに日頃考えているでしょうか。多分、「怒り」はなるべく出さないに越したことはない、「怒り」は良くないものだ、と考えている人が多いのではないでしょうか。
想像をしてみたのですが、
プロ野球などで投手がピンチで三振をとったり、
打者がチャンスでホームランを打ったりするとき、
すぐに満面の笑みになるというよりは、
「おっしゃーーー!!!」とか、「おらぁぁぁぁぁぁ!」
と吠えるようにしてから少しばかりの笑顔が見えるというような流れがあるように思えます。
怒りながら喜んでいる様な感じです。笑
嬉しいのに泣いていたり、
怒っているのに泣いていたり、
怒っていたら、哀しくなったり。
感情は喜怒哀楽を分けないことが大切なのかも知れません。
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